空っぽの器。 | デジタル編集者は今日も夜更かし。

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もし雑誌をやっていたら記事にしたかもしれない様々なネタを、ジャンルにこだわらずコラム風に書いてみる。アナログ志向のデジタル編集者は、相も変わらずジタバタと24時間営業中!

花炎


先週、ちょっと仕事を抜け出して外苑前で開催中の『陶匠:辻清明 華道家:假屋崎省吾展“花炎”』 (10/22まで。青山・梅窓院 祖師堂ホール)で息抜きを。秋だし。
28日から始まる目黒雅叙園の百段階段に飾られる『華道家 假屋崎省吾の世界』 を楽しみにしているのだが、そのアンティパストのつもり。


どちらかといえば、信楽の器を中心とした辻清明氏の作品がメインで、假屋崎氏がその器を盛り立て、過剰にならない程度に花を生ける。
独創的な花器は、もちろん假屋崎氏の花で飾られて、シナジーの効果を存分に発揮する。
本来、茶を点てたり、料理を盛るための器に、花はない。
壁面や陳列台を秋らしく、稲穂や赤い実(スズバラだと思うけど自信なし…)を中心に空間が創られていて、そこに信楽の無釉・焼締の作品が並ぶ。
ホントは花を見に行ったので、もちろんボクの興味は花器に向いていたのだが、空間の妙もあり次第に他の作品にかける時間が増していく。


『今宵ひと皿』 (フジテレビ/毎水曜/22:48-22:54)というミニ番組がある。
これは、毎回、ひとりの料理人にひとつの器が提供され、その料理人のイマジネーションでその器に最も合う料理を作り盛りつけるという、もの凄くクリエイティブで、類い希なオススメ番組である。空っぽの器に料理が盛られ、その器に命が吹き込まれる瞬間を目撃することができるのだ。
おお!そうきたか…と、一流の料理人の発想の豊かさにひれ伏し、ボクにはゼッタイ料理の才能はないなぁ、と思い知る。


ところが、そんなボクも会場で実際に辻清明氏の器を見ていると、空っぽの茶器や皿が、満たされているような錯覚に陥ってくるのだ。
もちろん、それが辻清明氏の作品の力なのだろうけれど、秋の空間を会場に創りだした假屋崎氏の花の力も大きいのではないだろうか。
酒を飲まないボクだけど、徳利と猪口が並んでいるのを見て、ホントに日本酒が飲みたくなった。陶芸趣味はまったくと言っていいほどないのだが、なんだか、こんな風にココロに響くと嬉しくなる。


存分に気分転換をして会場を出ると、青山の裏通りに鈴なりの柿の木が一本。

街だって、秋だ。
マナーモードにしていたケータイに入っていた急ぎの留守電に応えるために電話をかけながらも、気分良く、のんびりと会社へ戻った。